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英語力を伸ばさない詰め込み文法
役に立たない文法解説
どのような参考書・問題集にも必ずと言っていいほど、「文法の解説」が書いてあります。英語学習者は、一つの問題の正誤を確認するだけではなく、なぜ間違えたのか、なぜ正しかったのか、その解説部分を時間をかけて丁寧に読みこなして文法を一生懸命勉強します。
これは学校の授業では当たり前のように行われていることです。中学・高校では、英語の授業のメインが文法の解説で、生徒はそれを一生懸命ノートに写し、頭に詰め込んでいます。そして、文法の知識の増加=英語力向上だと考えてしまうのです。
これは、一見「英語の勉強をしている」わけですし、自分も「勉強しているつもり」になるのですが、実は、思ったほど英語力向上に結びつきません。というよりも「本物の英語コミュニケーション能力をつける」ことには、残念ながら全くつながっていません。
これは、非常に反論が多いかと思いますが、事実そうなのです。特に英語を教えている人ほど「文法がいらない」ということになったら仕事を失うわけですから、一生懸命になって反論します。
しかし、そのうちの何人の方が、ネイティブスピーカーと英語で徹底的に議論できる英語力を持ち、ネイティブの子供に「英語で」英語を教えられるのか疑問です(もちろん全員の教師がそうだとはいう暴論はしませんが)。
この「文法第一主義」も、私たちは中学校の頃から当たり前のこととして学んできました。しかし、私たちはこの「英語を正しく理解するためには文法知識は必要だ」というウソを信じて非効率的な勉強をさせられてきたのです。
T.I.E.外語学院の学院長でもあり、『失望させない英会話』の著者であるボブ西崎氏は著書の中でこう言っています。
「本来ならば、英語を理解するために文法を習うはずなのですが、現実として、文法を習えば習うほど英語が分からなくなるケースが非常に多く、使えない英語を生み出す原因の一つになっています。」
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また、英語名人である松本道弘氏も著書の中でこう言っています。
「英語がペラペラになり、国外へ飛びたいという夢を心に抱いていたが、中学2年の頃から文法に触れて、急に興ざめになった。まるで、数学の方程式の世界じゃないか、と思ったものだ。(これじゃ何時までたっても飛べない)といった不安と絶望感は、高校時代の私を襲った。」
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私も学生時代文法が大嫌いで、文法に頭を悩ませていた学生でしたから、この「文法の知識は英語力アップとは関係ない」という事実を発見したときは本当に嬉しくて、英語を学んでいる全ての人にこのことを伝えて、「英語は難しい、つまらない」という概念を取り払ってあげようと決心したほどでした。
また同時に、「そのような実際のコミュニケーションに使い物にならない文法を6年間も学ばされていたのか!!」と腹も立ちました。
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「文法の知識」と「真の文法力」の違い
本当に言葉を理解するのに文法が必要であれば、子供にまず文法を教えるはずです。しかし、そんな親がどこにいるのでしょうか?
「ほら、ケンちゃん、まず『茶』という名詞には丁寧語の『お』を頭につけて『お茶』といいますよ。次に助詞の『を』をつけてから動詞の『飲む』がくるのよ。そして、丁寧な言葉にするときは『ます』をつけて、『お茶を飲みます』という文章が完成するのよ。」
ありえません!!!(自分で書きながら改めて思いますが、滑稽ですよね)
また、おじいちゃん、おばあちゃんはどうでしょうか?テレビを楽しみ、友人との会話を普通のスピードで楽しんでいますが、果たしてどのくらい文法を知っているのでしょうか?
多分ほとんど知らないでしょう。彼らは日本語を60年、70年使いこなしてきた「日本語の達人」です。その達人が日本語を長年使ってきて、「文法」は必要なかったのです。
つまり、「文法の知識がある」ということと、「言葉を理解するということ」には直接的なつながりは無いのです。世界中で教育を受けていない人(文法など習う機会すらない人)ですら、母国語で日常生活に問題の無いコミュニケーションができるわけですから。英語を理解するために文法の知識を一生懸命詰め込むことほど時間の無駄ということもないのです。
これは、英語だけではなく、どんな実技にでも当てはまります。
自転車に乗ることを考えてみてください。自転車に乗る練習をすることなく、自転車の構造や自転車の歴史、なぜ自転車は、走るとき倒れないのかという力学をいくら「勉強」しても、自転車に乗れるようにはなりませんよね。細かい知識は、自転車に乗ることができるようになることとは全く関係が無いのです。それよりも、転びながらでもバランスをとって自転車に乗れるようになるほうが、「よほど役に立つ」というものです。
英語も、文法の知識を詰め込んでしまい、「英語音痴」になり、映画の英語がまったく理解できないよりも、文法の知識など無くても映画の英語が理解できるほうが、よほど役に立つし、何より、かっこいいとは思いませんか?
「母国語はそうかもしれないけれど、第二外国語を学ぶときは、文法をきちんと学んだ方が、力が付くはずだ。」
と反論される方も多くいらっしゃいます。これも、一見すばらしく聞こえますが、結果の伴っていない言葉です。私たちは、中学、高校と最低6年間文法を中心に英語を勉強してきたわけですが、どれほど本物の英語力が付いてきたのでしょうか?つまり、どれくらいネイティブの英語を聞き、読み、書き、話す力がついてきたのでしょうか?
1998年時点のデータによると、日本人の英語力は世界196ヶ国中155位で、しかも、リスニングのスコアは韓国や中国よりも悪く最下位だったそうです。決して頭の悪くない日本人が、時間と努力とお金をたくさんかけても成果が出ていないのです。
この現実から眼をそらし、いつまでも「文法は必要だ」と主張してみても、まったく意味を成しません。もし文法を勉強せずに英語を身につけた場合、英語ができなくなるのであれば、主張は五分と五分ですが、驚くべきことに、文法を勉強しないほうが確実かつ飛躍的に、しかも、苦しまずに(非常に大切ですね)本物の英語力が身についていきます。
英語の講師として特に悔しいのは、英語力がつかないということを6年間も学ばせるということもありますが、「文法知識詰め込み英語」によって、本来ものすごい可能性を秘めていて、将来の夢をかなえる鍵になりうる「英語」そのものを嫌いにさせているという事実です。
さて、話を戻して、文法中心の学習の問題点をもう一つ挙げてみましょう。文法の知識を駆使して、英語の文章を理解しようとすると、前回の「間違った単語の覚え方」と同じ問題にぶち当たります。つまり、
「生の英語スピードについていけない」のです。
学校の試験のように、与えられた問題をある程度時間をかけて解釈し、答えを選ぶのと違い、実際に英語を使う場面では、「解釈している時間」など与えられません。
実際に英語を使う場面で求められる能力は「音、または文字として頭の中に飛び込んでくる英語を瞬間的に理解し、瞬間的に正解を選び取る能力」なのです。
瞬間の理解が求められるときに、いちいち文法を考えて理解していては、一生「映画の英語スピード」で英語を理解するなどということはできません。それでは希望の光は見えてこないのです。
ここで誤解しないでいただきたいのですが、「文法の知識をつける必要が無い」ということと、「文法がでたらめでもいい」ということは同じではありません。私たちも、日本語の文法の詳しい知識はありませんが、実は、正しい文法で日本語を書いたり、話したりしているのです。
どういうことかと言うと、
「文法の知識」と「真の文法力」には違いがあるということなのです。
私たち日本人は、母国語である日本語の「文法の知識」は無くとも、「正しく日本語を使う真の文法力」があるのです。ですから、アメリカ人が「お茶で飲みます。」といったときには、「『違うよ。お茶を飲みます。』だよ。」と正しい日本語に直せるのです。
しかし、このように外国人の話すおかしな日本語に気がつき、その間違いを直して上げられる人のうち、いったい何人の人が、「なぜ『お茶で』では間違いなのか文法的に正しく答えよ。」という質問に答えられるかは疑問です。
私たちは、普段から、文法の知識は無くとも、正しい言葉と間違った言葉を区別する本物の文法力を使っているのです。ですから、私たちも、『文法の知識のつめこみ』ではなく、瞬間的に正しいものを選べ、間違ったものを指摘することができる『真の文法力』をつけることをしなければいけません。
しかし、現在の学校英語の延長で学習しているTOEICの勉強方法では、残念ながらこの『真の文法力』はつきません。
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